失くしたものや忘れたもの。
それは、新しいものを買ってしまった時に限って、気まぐれに顔を出す。
でも、人の生命に替えが効かないように、死んでしまったものは決して帰ってこない。
まるでそれは、夏の空にドンと打ちあがった花火のように。


リハビリ目的なSS『Winding road』


 蚊取り線香が臭い。よく見ると、普段より煙が多く感じる。
それは扇風機の風が火を煽っているからだろう。ついムッとして、扇風機にさっきまで飲んでいたビールの空き缶をぶつけてみる。
でも軽いアルミ缶が扇風機に何かを出来るなんて思わないし、結論から言うと、なんの意味も持たなかった。
「ふぅ」
このかび臭い六畳一間のボロアパートに転居したのは、いつのことだったか。
いろんな悲しい事があったあの街に、もう一秒たりともいたくなかった。卒業と同時に、逃げるようにここに来た。
誰も知らない場所、誰かを知らない場所。僕みたいに人当たりがそこまで得意じゃない人間でも、とりあえず愛想笑いさえ出来ればそこそこの
仕事は出来るらしく、なんとなく受けてみた会社の面接に合格し、それとなく暮らしてきた。
「上手く、いかないもんだなぁ」
でも、この折からの不況のせいでその会社は今月末で倒産する。家賃は退職金で先んじて半年分入れておいたから、半年間は雨露をしのげる。
とはいえこんな僕だから、次出来るのはせいぜいコンビニのアルバイト程度じゃないだろうか。なんて前途多難な課題山積の今日この頃。
そりゃワーキングプアでもビールに逃げたくなる。普段は第3のビールしか飲まないくせに、今日は珍しくスーパードライだ。参ったか。
さっきまでは確かに求人雑誌を読んでいた。コンビニにおいてあるゼロ円のやつだ。だけどあるのはどこもコンビニ店員と派遣だけ。
その派遣だって、昨今の派遣切りという嫌なニュースばっかりで、就職して今回と同じ目に遭うのは…と気が引ける。
なんて言ってるから仕事に就けず、苦労するハメになるんだぞ!と自分に言い聞かせてみるけど、なぁに追い出されるのは後半年先、まだいける。
そんな風にビールに逃げて今に至る。
最悪の場合、両親の遺産は後見人から受理しているからそれを使って起業するなり、株に投資するなりしてもいい。
でも、あの街には、帰りたくない。
あの街には、もともと住んでいた家もあるし、帰ろうと思えば帰れるんだ。
だけど。
「思い出したくない。寝よう」
つらいことは、結局その時間がとても楽しくて、救われていた時間だったから、よりいっそうつらく感じるんだ。
思考を止め、ビールの力で今日は寝てしまおう。テレビのない部屋で唯一の音源のラジオを止めると、僕はその身をかび臭い畳に預けた。
阪神が甲子園球場に戻って連勝して巨人を追い詰めてるなんてニュース、どうでもよかった。むしろ、追い詰められている僕を何とかして欲しかったから。


 夢を見た。
通いなれた学校、煩いくらいに元気な仲間たちの声。バットの音がグラウンドに響き渡り、キャッチをしようとみんなが下がる。
でも一人脚がもつれて転んでしまって、可愛いパンツが丸見えに。しかも追い討ちのように、そのボールが彼女のおでこに命中。
ドッと起こる笑い声。間の抜けた声で痛いけど大丈夫〜と答える彼女。
だけど、次の瞬間には。
血なまぐさい世界。
胴体から離れた腕や脚。割れた頭。燃える人体。
一人だけ、助かった世界。
恐怖に目を覚ますと、時計はまだ午前3時。
「…」
つらいから逃げ出したのに、まだ追いかけてくる悲しみ。
それは、忘れないでという彼らの願い?
それは、いつまで経っても忘れることの出来ない、僕が悪いの?
馬鹿馬鹿しい。死んだ人間がしゃべるわけないのに。願うわけないのに。
結局僕は臆病なだけだ。忘れようと思えばいくらでも忘れられるのに、忘れようとしない。
忘れてしまえば、ここまで生きてきた自分を否定することに他ならない。そんな偽善者めいたことを思っているから、いつまで経っても忘れられないんだ。

 バス事故で仲間がみんな死んだ。
僕だけが助かった。本当なら真っ先に死ぬはずだった僕が助かった。
挙句、弱い僕ともう一人の幼馴染が強く生きられるように、悲しみを乗り越えられるようにと彼らが作ってくれた虚構世界で、僕は何か出来ただろうか。
結局、もう一人の幼馴染も死なせてしまった。
僕は卑怯な人殺し。生かしてくれた人たちの死体を踏みにじる、卑劣な人殺し。
「…」
いい加減疲れたよ。もう。
どうせこの先僕は仕事にも就けないし、恋人だって出来ないに決まっている。
酒で体を壊すのは目に見えているし、かといって前向きに生きることなんて出来っこない。そんなもの、街を逃げ出したあの日に放棄したんだから。
「…」
目に飛び込んできたのは、カッターナイフ。
そうだ。頚動脈を切れば、死ねるんじゃないか。
でも昔読んだ、銃を持った女の子たちがイタリアで大暴れする漫画で『首を切られるのは苦しいぞ』って登場人物の男が言ってた気がする。
「…」
何を今更。
苦しいことなんて慣れっこじゃないか。むしろ今日まで生きてきたこの時間が一番苦しかった。
そうだ。動脈は脚の付け根や脇にだってある。切れる場所はいっぱいあるじゃないか。
もう、躊躇はなかった。
手を伸ばす先。小さな黒い四角いテーブルの隅にある、カッターナイフ。
あと1インチ、あと1インチ。
だけど手は滑り、その隣の目覚まし時計に手が触れる。
蛍光材のせいでやけに明るく見える長針と短針が、テーブルから落ちるとき。
その脚が、この部屋で唯一の音源であるラジオの電源を入れた。

---君の家へと続く 長く曲がりくねった道。
---それは、決して消えることはなく いつも僕の目の前に現れて。
---ここへと 僕を導く。
---君の住む家の扉へと。

 昔どこかで聞いた、懐かしい歌。
4人組のアーティスト、イギリス出身の偉大なバンドが、その死に際最期の光として放った、最後のオリコン、ビルボード1位の曲だったはず。
曲は延々と、ある種未練がましい単語を並べる。
迎えに来て。自分から歩いていけばいいのに、最後はそんな風に締めくくって終わる。
『曲は東京都、恭介さんのリクエストで、ビートルズ、The Long and Winding roadでした…』
恭介。
妙に聞き覚えのあるその名前が、決して偶然じゃないんだって思ったのは、毒気のないDJが放った、次の言葉からだ。


"恭介さんって、私が学生時代に好きだった先輩の名前なんだよねー。黙ってればかっこいいのにさ。いつも馬鹿ばっかりやってた。
 どーでもいいこと、ミッションに仕立て上げて、よく仲間引き連れて暴れまわってたっけ。でもね、ある日事故で死んじゃった。
 その事故では、私の知ってる子も、友達も、大勢死んじゃった。人ってこんな簡単にいなくなっちゃうんだ、あの頃の私、冷たかったなぁ。なんて。
 この音楽をリクエストしてくれた恭介さんは、最近会いに来てくれないお友達にこの曲を贈りたかったんだって。心当たりがある人は、会いに行ってあげて!
 天国と現世が分かれちゃったら会えないんだから。いつか会えるじゃなくて、今会えるこの瞬間を大事にしよう?"


 どっかで聞いた話。
気になって仕方ない。このラジオのDJを携帯で検索してみる。パソコン持ってないから。
「…」
知らない名前だった。
きっと、少なくとも隣かその隣のクラスメイトだったか、それとも単なる偶然だったのか。
それにしても腹立たしい。
「死んじゃう理由、無くなっちゃったじゃないか」
こんなの聞かされて、死にたいなんて言わせるほうが酷に違いない。
…なんとなく、帰りたくなった。あの場所に。
ラジオはそんなの忘れてさっさと次の曲に移る。でも、僕の頭の中には、延々あの音楽が流れていた。


---孤独なときもあった。
---泣いた事だってあった。
---君には決して分かりやしないと思うけど。
---人知れず試みた方法もあった。

 見慣れた街が近づく。
怖くなって乗り換えて帰ってしまおうなんて思って、思いとどまる。
小さな街の、シンボルみたいな、駅沿いのデパート。
小さい頃、両親によく連れて来てもらったっけ。リトルバスターズに加わってからは、ここでパトロールと称して試食コーナーで試食しまくる恭介たちを押さえたり、
でもたった一回、本当に万引き犯を捕まえて、お店からお礼もらったっけ。中身は…覚えてない。
でも真人と謙吾がほとんど平らげたんだから、食べ物だったのは間違いないだろう。中学から学園に進学した後も、買出しなんかで来たりした。
あ、そうだ。
『ふむ。小毬君。キミもそろそろお子様ぱんつは卒業したらどうだ?』
『ふぇ、ふぇぇぇぇ〜!?』
慌てる小毬さん。そうだ。ちょうど2階の女性下着売り場で来ヶ谷さんが小毬さんを弄ったときだ。
『ついでに理樹君の下着も見立ててやろう。なぁに、遠慮は要らない。おねーさんにすべてを委ねるんだ』
『いやいやいや!ここ女性下着売り場だから!』
小毬さんと僕で逃げ回ったっけ。どこまでも追いかけてくる黒髪の悪魔から逃れるために。
でもそれだって、本当は初夏の魔法が見せた、ただの幻だったなんて。
今でも、心のどこかで信じていない。あれは本当にあったことなんだ。無意識に精神に暗示をかけている自分がいる。

 駅に降り立つと、ストリートミュージシャンがギターをかき鳴らしていた。
一度恭介が『俺はゆずになる!』って小学校のころ言い出して、国語の先生のギターをこっそり持ち出して弾けもしないのに鳴らしまくったっけ。
でもそんなとき、ギターをやっているってお兄さんに弾き方をそこそこに習って、調子に乗って弾き鳴らし。
弦が切れて、慌てて治そうとしてネックが折れて。あの時の怒られ方は尋常じゃなかった。今だから分かる。Martinのギターは普通には買えないんだって。
誰も聞かない、彼だけの世界。視線を合わせることなく、その場を去る。

 子供と手をつなぎ、買い物袋を提げ、商店街を歩く女性。お腹は大きく、もう一人体の中にいることも分かった。
みんな生きていれば、誰かさっそくお母さんになっていたに違いない。みんな、そこそこには可愛かったから。
気づいたんだ。僕がいなくても、それぞれが、それぞれの時間を作り、守り、進めている。
それは、誰かに指示された事ではない。それぞれが、それぞれのために、それぞれで行っていることなんだって。
例えばそこに僕しかいなくたって、恭介しかいなくたって。
僕は僕でしかないし、恭介は恭介でしかない。
鈴も、真人も、謙吾も。小毬さん、葉留佳さん、クド、来ヶ谷さん、西園さん。
それぞれが、それぞれでしかない。
お別れするのがつらかったんじゃない。もう会えないのがつらかったんじゃない。
それぞれの時間を刻めなくなった、彼らの時計はもう止まっているのに、それでも秒針から逃げるように走り続ける、そんな自分が嫌だったんだ。
彼らの時間は、あの炎と煙の中に消えてしまったのに、ヘラヘラして生きている自分が嫌だったんだ。


 たどり着いた川原。
そこは、リトルバスターズで唯一の全員集合写真を撮ったところだ。
それは、この世界には存在していない。もう、夢の世界のどこかに眠っている程度。
横になり、夕日を見つめる。
「…」
ふわり、と空気が揺れる。
チェック柄のぱんつが眩しい、葉留佳さんがいた。
『理樹君理樹君、風邪引くよ?』
それはスカートの中が簡単に拝めるくらい、短いスカートを穿いている葉留佳さんだって同じ事。
そこを指摘すると、彼女は舌を出してテヘヘと笑った。
『それは、理樹君だから見せてるんですヨ』
あんまり嬉しくないや。ぷいっとそっぽを向くと、しゅんっ、と悲しそうな顔をして。それでもすぐに笑顔に戻り。
『みんな待ってるよ。遊びに来てね』
それだけ言って、お騒がせ少女はまたどこかに走り去ってしまった。
せっかくの昼寝を邪魔されて、なんか惜しい気がしたけど。まぁ、ぱんつ拝めたしいいや。
重い腰を持ち上げ、ジーンズについた泥を叩くと、僕はまた、足を動かした。

 見慣れた喫茶店。窓際の席で、黒い髪が美しい少女と、青い髪の少女が、何か熱く議論を交わしている。
来ヶ谷さんと西園さんだ。きっと、何が萌えで、何が萌えでないかの意見を戦わせているのだろう。
なんとなく混ぜて欲しくなった。アキハバラで培ったサブカルチャーはダテじゃないぞ!
喫茶店のドアを開けると、その脇を来ヶ谷さんと西園さんが走り去っていく。去り際、半分だけ振り返った来ヶ谷さんのウインク。
待っている。それだけが伝わった気がして、いらっしゃいませ!と声を出す店員に目をあわさず、踵を返した。

 夕暮れの公園。ボートを漕ぐ恋人たち。
その中に、相手がいなくてキョロキョロする、ゴスロリの少女。
「小毬さん」
『あ、理樹君』
差し出す手。取られる手。
『でも、乗るのはまた今度ね』
「…?」
気がついたら、そこには誰もいなくて、差し出した手がさびしく、秋風に揺られていた。

 やけに幻影にとらわれる日。あぁ、きっと疲れてるんだ。気分がハイになるクスリやってる覚えはないのに。
そうしてたどり着いたのは。
「学園…」
卒業と同時に飛び出したこの場所。もう帰る気はなかったのに。
「…よし」
施錠される前の正門に飛び込む。見つかったって卒業生だ、で通せばなんてことはない。
…と思う。
ネコにえさをやる鈴が僕に気づいて顔を赤らめて消え、重い荷物を持ったクドを手伝おうと思ったら、笑顔になって消える。
真人と謙吾がバトルしているのをとめようとすると、笑顔になって消えた。そして。
「恭介」
『あぁ』
いつもと変わらない、ニヒルな微笑み。
いつまでも憎たらしい、そのポーカーフェイス。
『お前も強くなったんだな』
「そうかな」
『あぁ。あの日、逃げ出すように学園からいなくなった日から、いろんなものがお前を変えてくれた。俺は素直に、そう思うよ』
差し出される手。戸惑っていると。
『俺たちは別に死んだって構わない。結果としてお前を苦しめることになったとしても、いつか忘れ去られたって構わない』
『だがお前が俺たちの存在した理由を、あの世界を作った理由を知って、前に進んでくれたとき、やっと俺たちは成仏できるんだ』
僕たちは所詮神様というとんでもないゲーマーが作った、チェスの駒。死ぬのも生きるのも神様の気分次第。
でも駒だって意志はある。たまにその意志に逆行したとんでもない茶番劇を始めてしまう。
それが、あの世界だったんだって、ずっと思ってた。
『いつか心の整理が付いたときでいい。教えてくれ。お前を大きくしてくれたもの。前に進もうと、決めたキッカケを』
「うん」
手を取り、前に進むと。

---平成○○年 ○月○日 バス転落事故 死没者氏名之碑---

 僕が出て行ったときには、こんな碑なかったのに。
指先でなぞる、その名前たち。刻まれたのは石に彫った名前でしかないとしても、そこには生きた証が、確かに残っているはずだから。
気がつくと、そこにはすでに恭介はなく。
さっきまで感じていた人の気配は、とっくにどこかに通り過ぎてしまっていた。
「…」
そうして僕は、また独りぼっちに。


 なったはずだった。
僕自身驚くほどのグッドタイミングで、携帯が震える。
また出会い系か何かのメールかな。なんて携帯を開けると。
差出人は不明だった。知らないアドレス、というよりアドレス自体ない。そんなことが出来る携帯なんて知らない。
「…?」
手の込んだ悪戯の類か、と思ってメールを開いてみると。
添付ファイルに、僕は泣いた。
それは、あの日あの世界に置き忘れてきた、みんなが揃った、たった一枚の写真。
絶対に残っているはずがない、そんなモノだったはずなのに。
4年間使い続けてきた相棒、そろそろ機種変更しようと思っていた頃なのに。
「こんなんじゃ、捨てられないじゃないか」
最後の最後まで、僕をもてあそんでくれちゃってさ。憎らしい笑顔たちに恭介譲りのニヒルな笑顔を浴びせると、僕もまた、その場を後にした。


 時間は流れていく。秒針に追われる生活は相変わらず続く。
僕はあのあと結局、半年を待たずして生まれた街に帰ってきた。
仕事は思ったより早く見つかり、両親が残してくれた家で、両親の生きた姿をトレースするように生きている。
相変わらず女の子にはチヤホヤされるけど、いい人で終わっちゃう毎日。
仕事だって半人前でよく怒られるけど、それはどこにいたって同じことだから。
本音言うと、つらい。
でも、前みたいなつらさじゃないんだ。
「満たされすぎて、逆につらいや」
相変わらずこの家の唯一の音源はラジオだ。でもまたあのDJが、恭介のことを言ってくれるのが待ち遠しいから、当分はテレビ買うつもりもない。
ビールの空き缶を手の中で弄びながら、やがて飽きた僕は、あの日のように空き缶を扇風機にぶつけてみるのだった。
【終わり】


あとがき。

何を書きたかったかいまいち分かりません。
リハビリなんで全然ト書きなしで清書もなしでやっつけました。

あたしリハビリ何回目だ…?

アドレス変わってから最初のSSは、一人だけ生き残った理樹君の苦悩。
ある種の後ろめたさを感じながら生きていたけど、仲間たちは全然そんなこと思ってなかった。
むしろ生きていたことを素直に喜んでいた、そんな感じ。
親の心子知らず、とはまた違うけど、案外人は自分が思うほど自分を悪くは思っていないんだ、っていうメッセージが伝わればいいな。
相坂でした。

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