オレはどうやら、ここにいてもいいらしい。
誰に頼まれたわけでもない。だけど唯一つ言えるとするならば。
望まれているんだろう。こうして、誰かと共に、失われた者たちの時間を進める、
その時計の秒針の役割を。


第9話『進む者、退く勿れ -Marchin' you!!!-』


 小毬のキスのあと、居た堪れなくなったシンは自室に戻っていた。
見上げる天井。触れる唇。思い出すたびに早鐘のように鳴る心臓。
「…だぁっ!」
恥ずかしさと苛立ち紛れに枕を壁に投げつけ、そして。
ため息。
「なんで、だろうな」
スマートにキスできなかったのが悔しいのではない。
疑問なのだ。なぜよりにもよって相手が小毬だったのか。
小毬が好きな男子から言わせれば贅沢な悩みだ、死ねばいいのに、という罵声が二言目に
絶対に飛び出すに違いない。だがシンにとって小毬という存在は、むしろ苦手とするタイプであり、
そんな彼女に場の空気とはいえキスをしてしまうことは相当な愚に思えたのだ。
「…はぁ」
だというのに、なぜ胸の中でモヤモヤしている感情が『なんであんなヤツなんかと!』ではなく、
『あぁ、オレ明日からアイツに会えないな』という至極残念な発想なのか、まだ心幼いシンにはイマイチ
分からないところだった。

 翌朝。
珍しく担任の森がHRに来なかった。それはそれで特に問題とすべきところではなかったが。
「…なぁアンタ」
「…」
問題だったのは、誰もシンの言葉が聞こえていない、むしろ存在が無視されている、という部分だ。
「消しゴム、落ちたぜ」
「…」
差し出しても、受け取ろうとしない。
仕方なく机に放り投げる。その消しゴムは彼の机でバウンドして、彼の隣の女子の足元に飛ぶ。
「落ちたよ」
「あ、ゴメン」
シン以外の人間同士で仲良く話しているのに、シンが相手だとこれだ。
「…」
「…」
疎外感は別に今更なんとも感じない。前の学校では気にかけてくれる人間はいたが、無視してきた。
しかし今回はどうもおかしい。まるで、誰かに命ぜられているかのように、シン以外の39名は、誰一人、シンと
言葉を交わそうとしない。完全な、マリオネットのような何かに成り下がっている。
「…」
「おい」
「…」
「…」
無言の挑発でもしているのだろうか。それが気になるが、疎外感よりある種の不快感を覚えた。
「…誰の指示だよ」
「…」
当然シンもそれを疑う。むしろ疑わないほうが問題だ。
だが相手も一切答えない。ひたすらに、目の前の答案を解き続ける。
「…」
もっとも、シンでも大体の想像は付いていた。
こんな、阿呆なことをして自己満足している阿呆がいるとすれば、それは。


 「…なぁ」
「…っ」
保坂。その女子は頼まれると断れない、お人好しのどちらかと言えば委員長タイプの女の子だった。
シンはもしかしたら、と思い保坂に声をかけてみる。態度はもっぱら予想通りだったが。
「…」
うつむく。周りの視線が痛いのだろう。
現にシンと話そうとする保坂に向けられているのが温かい視線ではない、ということは流石のシンでも分かった。
汚物を見るような、蔑む視線。その中には、穂積の姿もあった。
同じように、シンをスルーし、保坂のほうに視線を注ぐ。
シンの呼びかけに一瞬答えかかった保坂もすぐに反応した、だが反応するだけでもこのクラスでは罪なのだろう。
「…」
「フン」
その『汚物』を鼻で笑い、あしらい、そしてその場を去るシン。
ついに、保坂が声をあげる。
「ねぇみんなおかしいよ!なんで、なんで飛鳥くんが悪人にならなきゃいけないの!?」
委員長タイプの優等生、とはいえやはり理不尽には怒りを感じられる余裕があるのだろう。
「飛鳥くんは何も悪くない!一番悪いのは来ヶ谷さんだよ!飛鳥くんをたぶらかしたんだから!」
「っ!」
前言撤回。何一つわかっていなかった。
怒りに任せ、声を荒げる。
「違う!来ヶ谷は何も悪くない!アイツはオレを…」
「やめてっ!今なら間に合うよ!来ヶ谷さんと距離を置いて、みんなと仲良くしよう?」
何一つ、何一つアイツを理解していない。ただの教師の言いなりだ。そんなヤツに何がっ!
怒りは机を激しく叩き、そして勢いで保坂の後ろの窓ガラスを素手でぶち割るまで発展していた。
「っ!!!」
自分の後ろの窓ガラスが割れ、そしてクリスタルシャワーが無人の廊下に飛び散る。
「何も、何も分かってないよ、アンタたちはっ!」
「あぁそうさ!知る必要なんて無い!来ヶ谷は敵だ!」
穂積だ。見せしめはいつしかイエスマンにまで退化していた。
怒りや呆れを通り越して、憐れみすら感じてしまう。何を考えての行動か。
「僕は敵に君を渡したくない!いいか、これは最後の忠告だ!次はないんだぞ!?」
「…」
掴みかかろう、そうしたとき。

 「あいにくだが、私はキミらから憐れんでもらうほどの下種ではないさ。もっとも、罵倒されるのも筋違いだが」
「っ!」
クラス中の視線が、そこに注がれる。無人のはずの、教室の入り口に。
「よう、シン少年。キミも相当モテモテだな。そうやって何人の女の子を泣かす気だ?」
「ふ、ふざけるなよ!」
それは、齧っていた林檎の芯を廊下のゴミ箱に後ろ投げで投げ入れると教室に入り込んできた。
…来ヶ谷唯湖、その人だった。
「まぁ、キミらの下種担任が考えそうなことだ。そこの保坂女史や後藤女史が昨日私とシン君の逢引を見ていた時点で分かっていたさ」
「あ、逢引って」
意味分かって言っているのか?と不安になっていると、顔面蒼白の保坂が来ヶ谷に食いつく。
「わ、私は、な、何もみて、いませんっ!」
「…ほう、それなら、これでもかな?」
来ヶ谷は、多数印刷した写真をポケットからばら撒く。
…森から金銭を受け取る、保坂の写真だった。
「!!!」
「しまった、といった顔かな。因みにコレは私とシン君が別れた直後の多目的教室での写真だ」
「しょ、証拠は…っ」
そこで、来ヶ谷が言う前に保坂も気付いてしまった。
「さすがに時間まで捏造する気は無いが、壁の時計は嘘をついていないようだな」
多目的教室の時計は特殊で、その日の日付と曜日、時間まで出る。
時計は昨日の日付と、そして時間まで鮮明に残していた。嘘の吐きようも無い、アリバイトリックも使用不能な状態だ。
「さて、これでも嘘を貫き通せる自信があるかな?保坂女史」
「…こ、こんなの」
「捏造です。私は知りません。そういうつもりかな?そう言えば保坂女史、キミは実家が貧しく奨学金でここに入ったらしいな」
「っ!」
「だから、アルバイト感覚でやっていたんだろう?まぁ金が勉学で消えるから、遊ぶ金欲しさに私を売ったのだろうな」
来ヶ谷は勝ち誇った目で、汚物を蔑む。もはや人としての尊厳を汚された汚物を。
そんな彼女に横からヤリを入れるもの。共犯と言われた後藤だ。
「ま、待ってよ来ヶ谷さん!このデコメガネは確かにそれをやりそうだけど、あたしは絶対しない!」
「…ほう」
不敵な笑みの向こうには、秘められた怒り。
しかし来ヶ谷という人間は、怒りに任せた攻撃はしない。
じわじわと、綿で首を絞めるように、なぶり殺しにすることを至上の喜びとする。
瞬殺するのは、つまらないから。
「それなら…」
黒板の前で立ち止まり、そして黒板の溝からチョークを取る。
そしてそれを力いっぱい後藤に投げつける。暴力か!と周りが騒然とする中で。
コンッ。
それは狙い済ましたように後藤の制服の胸ポケットに命中する。しかしそこからは異質の音、
強いて言えばプラスチックか何かの音がした。ハッ、として胸ポケットから無意識に『それ』を取り出す後藤。
「さて、ボロが出たな、後藤女史」
「っ!!」
それは、ICレコーダー。
音声を記録する道具だ。そして。
「キミはそれを使い、まるでゲシュタポの如く私に関与しようとした人間を嗅ぎまわり、その音声を森に提供していたな?」
「そ、そんなことしないわよ!」
「ほう、この音を聞いてもか?」
刹那、スピーカーから音が流れ出す。


『…穂積君、来ヶ谷さんの手伝いしてたでしょ?』
『えっ、う、うん。宮沢先輩のお願いでさ』
『ふーん…でも、危なくない?』
『うん、分かってるんだけどさ。でも部活の先輩だし、僕宮沢先輩を尊敬してるから』
『そっ…』

 「ちなみにこの翌日から、森の穂積少年に対する態度が一気に変わった、と聞いているぞ」
「こ、この音声どこから」
そして、ハッとする。術中にハメられた。そう確信したときは既に遅し。
「なに、簡単だ。森がパソコンを校内イントラに繋いだときにハッキングして奪ってやった」
「…犯罪者っ!」
どっちがだ。
呆れるシン。確かに来ヶ谷もやりすぎだが。
その来ヶ谷自身はそれが相当滑稽だったのか、薄ら笑いすら浮かべてあしらう。
「他人の会話を盗聴する人間が何を偉そうに。第一これは言うなれば自衛手段だ。防犯カメラはプライバシーの侵害には当たるまい?」
「っ」
「それに公共の回線に入ったときは誰もがハッキングのリスクを負うものさ。対策を練っていない森が悪いぞ」
「…」
何も言えない、後藤。あっさり敗北を認めたのか、手にしていたICレコーダーを床に叩きつける。
砕けた破片は、教室の床を汚す。
「やれやれ。掃除する人間のことも考えてやれ。もっとも、人間のクズたる諸君らこそ掃除されるべきなのかもな」
そしてポケットからさらに写真の束を取り出す。そこには。

 誰かの前でスカートに手を入れ、パンツを脱ぐ保坂の写真。
また、誰かの目線で教室で男を受け入れている後藤の写真。
それ以外にも多くの卑猥な写真が入っていた。
「い、いやあああああああっ!」
してやったり。悪魔の笑顔がそこにはあった。
「ちなみにこれも森のパソコンの隠しフォルダから奪ったものだ。警察や教育委員会にも既に流してある。森が今日来ていないのは」
まぁ、今頃青少年保護育成条例違反等々の罪状で豚箱の臭いモノを食わされる運命に立たされているだろうな。
敵に回したものが、あまりに厄介すぎたのだろう。ふと、穂積が外を見ると。
マスコミが大勢、地元の新聞社から都心の有力なテレビ局のカメラまで、外に溢れていた。
「ハメ撮り趣味の、しかも特定生徒への攻撃激しい不良教師。さて、社会復帰は可能かな?田代神もビックリだ」
ばら撒かれた写真には彼女ら以外にも多数の女子生徒がいた。
そう、強いて言えばこのクラスのほぼ全ての女子生徒が、森のモノを受け入れるか、それに近い経験をしていたのだろう。
「そんなにいいルックスとは思えんが、ご愁傷様、だ。行くぞ、シン君」
「え、でも…」
「情け容赦無用、フォイア、といったところか。バウアー大尉を見習え」
「ワケ分かんないよ!」
そうノリツッコミをしているときだった。

 ガシャーン。
ガラスが割れる音。そして、教室から消える影。
下で大きな激突音。そう、人が地面にぶつかったくらいの音だろう。
…保坂が、身を投げていた。
「ほ、ほさ、ほさ、保坂ぁっ!」
「保坂っ!大丈夫かぁっ!?」
クラス中が一転して騒然となる。保坂はピクリとも動かなかった。
「…フッ」
半分振り返りながら、クールな表情の来ヶ谷は、パニック状態の後藤に問う。
「時に後藤女史、キミは知っていたんだろう?」
「な、何をよっ!?あぁ、保坂さんっ!」
「…保坂女史が、森の赤ん坊を孕んでいたこと。そして、それを知った森が堕胎するように命じて、拒んだ彼女を暴行したこと」
「…っ」
どうしても産みたい。産んであげたい。
大好きなの、森先生が。
後藤は1週間半くらい前、そんな相談を保坂から持ちかけられていた。
最初は意外だった。優等生タイプの彼女が自分と同じように森に脚を開いていたことが。しかも避妊もせずに。
親身になって、相談に乗って、そして正直に森先生に話したほうがいいよ、とアドバイスした後、彼女が3日ほど学校を休んだことも。
「自殺したのは、穢れた女として見られたくないという願望より、もう森は自分には帰ってこないという絶望感から、だろうな」
「…」
クラスが騒然とする中、シンは来ヶ谷に手を引かれ、その場を後にした。
時に、人を簡単に死に追いやる来ヶ谷の手口に、ある種の恐怖を感じながら。


 「保坂女史はほぼ即死だったらしい。よかったな、苦しみを感じずに死ねて」
「っ」
マスコミがまだ騒がしい外の喧騒を無視して、部室で茶会と洒落込むシンと来ヶ谷。
だがその不謹慎な言葉に、シンは一瞬だけ怒りを覚え、そして。
「アンタ、人を死なせたって自覚あるのかよ?」
「いや?あれは単に彼女が好き好んで身を投げただけさ。私がトリガーになったことは認めるが」
敵を葬ったことに一種の恍惚感すら感じているのか?と疑うが、少なくとも彼女の目に光は無い。
甚振りすぎたと反省はしているのだろう。
「…担任は犯罪者として逮捕、生徒一名自殺。検屍の結果担任の子どもを孕んでいた。中々の展開だな」
「…オレのクラス、どうなるんだ?」
「まぁ、おおかた解散か、あるいは副担任が担任に昇格して導いてくれるだろう」
そんなにとんとん拍子で進むとは思えない。
そんな教師を担任に据えた理事長や校長、教頭もタダではすまないはずだ。
そして生徒達も、特に女子生徒はほぼ全員が担任の棒姉妹だった、と男子生徒に知られた今、
このまま学校に残っていようとは思わないだろう。何人が泣きながらここを去るか。
「我ながら恐ろしいことをしたものだ。くわばらくわばら」
「反省して無いだろ…てかいつから気付いていたんだ?」
オレの、境遇に。
答えはすぐ返ってきた。
「あの森のクラスだという時点で多少は、な。ハッキング時にシン少年に対する森の音声も手に入れていたしな」
「…」
逆らえない。敵に回したら恐ろしい相手。
再度認識した彼だった。

 やがて、部室のドアが開く。
「よう。来ヶ谷、お前やってくれたらしいな」
「何のことだ、恭介氏」
おいおいシラ切ろうとしても無駄だぜ?と恭介が呆れながら答える。
「森を潰したのお前だってもっぱらの噂だぜ?というより現場に居合わせた当事者たちがもう言いふらして回ってる」
「ふむ。私も身を隠したほうが身のためかな?」
「いや、問題は無いさ。マスコミが嗅ぎまわっている今、杜撰な管理体制がこんな事件を起こしたってバレて損するのは学校だ」
「そうだな。いや、やはり恭介氏は聡明だな。それでバカをやらなければもっとモテるだろうに」
「辛らつなご評価で」
ははは、と笑いあうこの二人に違和感を感じていると、一人、また一人と部室に入ってくる。
「結局今日は臨時休校になったよ。来ヶ谷さんに知らせようと思って裏庭に向かおうとしたら居ないしマスコミに追われるし」
「理樹テレビに出れたって喜んでたぞ」
「り、鈴っ!」
どうやら本当のことを言われて顔を真っ赤にして俯いているのは理樹。
「シンくん、だいじょ〜ぶ?」
心配して小毬も駆けつけていた。が、機能のこともあるので目を合わせられないシン。
そして目の前のコーヒーカップに手をつけたとき。

 視界が、一瞬ぼやけた。フェイドアウトするコーヒーカップ。
ガシャン。部室の床に叩きつけられ割れるコーヒーカップと、零れる液。
「ふぁっ!し、シンくん大丈夫?」
「…ん、大丈夫」
特に、今まで気にしなかった。
何回、こんな感じがしたか。
冷静に判断しているシンに、不審そうな顔の仲間達。
何か、嫌な胸騒ぎがした。
(つづく)


あとがき。

一気に森先生潰しておきました。当初は時間をかけて森先生をいたぶる予定でしたが、
早くシンくんのストーリーを進展させたいので、さっさと退場していただきました。
さて、シンくん、今回も出番少なかったね。なんか唯湖さんに食われてた、というか。
でも次回から出番増える予定、というよりいよいよリフレインばりに『Episode:Shin』が始まりますよ。
これから始まる希望という名の未来?やがて来る過酷?乗り越えられる?シンくん。
ってことで、相坂でした。

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