一眼を買った。
それは、一眼レフではなく、あくまで一眼カメラだった。
ちょっぴりショックだったけど、今のわたしにはそれがちょうどよかったから。
でも帰り道、なんでこんなの買っちゃったんだろう、なんて不思議に感じ、箱の入った紙袋を投げ捨てようとして。
彼に、出会ったのだった。


ノスタルジックな美魚SS『鼓膜に届く鼓動』


 「西園さん、珍しいね」
「…何がですか?」
彼は、微笑みながら顎でわたしの手を指し示す。手には、紙袋。
大手家電量販店の、茶色い紙の袋だ。
「……わたしが家電量販店に行くことに不満や不思議があるのでしょうか…?」
「え、いや、その」
確かに買い物をするようには見えないのだろう。
可能性が多少なり大きい電子辞書だって、使いこなせないわたしだ。買うわけが無いし、そんなものに頼らなくても、
並大抵の人間に比べて語彙はあると自負している。そんなところで、何かを買うわけは無いのに。
「ふぅん…オリンパス…って何だっけ?貼り薬?」
それはサロンパスだと思う。一応登録商標だから勝手に使うのはいけないことなのだけど。
「オリンパス…オリンパス瑞光レンズは日本で老舗の光学メーカーです…」
もっとも、この発言すらもその家電量販店の店員のウケウリだけど。
「へぇ、ってことは、カメラ?」
「……意外ですか?」
「ううん。いつもの西園さんの担当を考えれば、何となく分かるよ」
彼は、皮肉も毒気も感じない笑みで、わたしにそう言った。

 そもそもの始まりは、先日、壊してしまったのだ。
来ヶ谷さんから借りていた、カメラを。
来ヶ谷さんにはその日のうちに素直に謝っておいた。勿論落としたり水をかけたわけではない。
見るなり事情を察してくれたのか、どうせ大した値段のカメラでもない、気にしないでくれ、と言ってくれた。
これが自損事故であったなら来ヶ谷さんも許してはくれなかっただろう。
だけど、それまで使い方の分からない、どうでもいいアイテムだったはずなのに、なくなったらなくなったで寂しくなった。
元々突然渡されて撮影担当にされていた、もっとも仮にそうでなくても野球なんてハードなスポーツが苦手なわたしの立ち位置を考えれば
ある意味必然的にやっていた撮影担当というだけだったのに。
「…」
気が付いたら、市街地にある電器屋さんの前にいた。
「…」
「お探しのものはありましたか?」
スプリングレイヤーのショートヘア、赤い金属フレームの眼鏡をした若い女性がわたしに声をかけてきた。
「…」
面倒だったから答えなかった。
「気になるものありましたらいつでもどうぞ」
それだけ伝えて、彼女はいなくなった。
わたしは、結局いつだって独りぼっちなのだろう。
木陰で本を読むしか出来ない、そんなつまらない女。
財布の中には、これまで本を買う以外使い道を知らなかった、地道に貯金してきたお年玉。
変わっていかなければ、始まらない事もある。
思い切って、挙げた手。
それを見つけ、早足で駆け寄ってくる、さっきの店員さん。
「あの…」
「カメラ、詳しい方をお願いします…」
「はい、あたしで宜しければ」
女性は、そう言って微笑んだ。


 彼女は確かに詳しかった。
写真家としてもそこそこ有名らしく、ともすればド素人のわたしには絶対に分からないであろう用語すらも、分かりやすく、
噛み砕いて教えてくれた。明らかに年下のわたしに、謙ることもなく、かと言って上から目線でもなく、写真を愛する人に、
あくまで対等であろうとする姿勢が、とても好感を覚えて、試しに聞いてみた。あなたは、どんなカメラを使うんですか?と。
彼女は、微笑みながら教えてくれた。
…最初から、高いものを売りつけられる、と半ば諦めていた。
だけど、薦められたのは、確かに高いカメラだった。というのに、とても小さくて、軽くて、可愛くて。
「ズームのパンチ力は小さいですけど、何気ない日常の風景を撮る分には、とてもいいカメラですよ」
「…その根拠は?」
「あら、簡単ですよ」
ある程度自動判断をしてくれる機能や、画面を見ながら撮影できる、ライブビュー機能。
デジタルカメラみたいな作りなのに、センサーはコンパクトデジタルカメラの倍以上。暗いところもノイズが全然入らない、という。
「重いカメラはイヤ、といって短絡的にコンパクトを買ったら、後から性能の不満でお買い替え、ってなるでしょう?」
「それなら、予算に合ったある程度いいカメラを持っておいて損は無いですよ。特に一眼は後から欲しいレンズを継ぎ足せるんだから」
軽くて、使いやすい、そんなコンパクト一眼カメラ。
そのカメラは、1959年……そう、まだ戦争が終わって間もない頃、ボールペンみたいにポケットに収められる一眼レフを目指して、
オリンパスが作ったカメラだった。往年のカメラファンの間で、今でも高値で取引される、通称『オリンパス・ペン』。
そのペンシリーズの復刻版、しかもタダの復刻ではなく、デジタル一眼カメラという姿に作り変えた、そんなカメラ。
レトロな小物が特別好き、というわけではない。
だけど、この愛嬌のあるフォルムは、なるほど最近の現代的デザインのコンパクトには無い、何かを感じた。
彼女の笑顔は、営業をする、売りつけてやろうとする笑顔ではない。
目が、語っていた。
『楽しい時間を』と。
その楽しい時間のため、わたしは、迷わず答えた。
「これください」
「ありがとうございます」
彼女は、自分と同じ道を進む人を見つけられて、嬉しかったのだろうか。
あの笑顔は、どことなく、そんな感じがした。


 そして帰り道、わたしは出会った。
直枝さん……わたしの、大切な人に。
夕暮れに染まる彼の笑顔。町並み、電柱の影。
写真を、撮ってみたくなった。彼に、それを伝える。
「川原に行きませんか?」
「え、あ、うん」
何を考えているか推し量れなかったのだろうか、煮え切らない返事だった。
その彼を伴い、近所の川原の土手に座る。
そして、カメラを取り出し、組み立てる。
カシャッ、と小気味よい音を立て、本体とレンズが繋がる。
店員さんに薦められた容量のSDカードと、バッテリーをスロットに搭載し、準備完了。
電源ボタンを押すと、時間設定の画面になった。
「…直枝さん」
「うん、分かってる」
流石はわたしの大切な人だ。わたしの言わんとしたことを即座に察してくれた。
…時間設定すら出来ない時点で、本当に大丈夫か心配だけど。
そんなわたしのどうしようもないワガママにも、笑顔で付き合ってくれる直枝さん。
ダイヤルを回し、時計を設定する。そして、またあの柔らかい笑顔でわたしにそれを返してくれる。
「これで大丈夫だと思うよ。後は、説明書通りならこのiAUTOに合わせてあれば問題ないと思う」
「…」
触ったことも無いものを一瞬で判断して使えるあたり、やっぱり男性と言うものは本能的に機械に強いのだろうか。
ただお世辞にも直枝さんは、そういうものに疎いような外見だし、仮に詳しいとして、それはそれでギャップだと思う。
だから、彼が言ったことが正しいかどうかを証明するために。
「っ!」
「…カシャン♪」
切ったシャッターは、夕暮れの横顔を、寸分違わぬ美しさで残していた。
しかし、その映像を彼に見せることは叶わず。
「…電池が切れてしまいました」
「…仕方ないよ、初期出荷の段階で残量減らしてあるから」
「…残念です。消えないでしょうか?」
「一度記録されたものは、カードが壊れない限り大丈夫だよ」
微笑む彼。
違う、そんな答えが欲しいわけじゃないのに。
「…はい」
頷くわたし。違う、本当に違う。


---もし仮に消えたとしても、また同じ時間、またこの横顔を、君に貸してあげるよ---


 鈍感で、どうしようもない男の人。
ため息混じりに、わたしはカメラを、一緒に買った専用のケースに入れる。
「今日は、もう帰りましょう。もうすぐ暗くなります」
「うん」
そうして歩き出した彼は、数歩歩いてわたしに気付く。
「あ、カメラ、持とうか?」
「…結構です」
「そう」
その手を、わたしの手ではなく、カメラに差し出したことが、なぜか悔しかった。
彼なりの、優しさだとは、知りつつも。


 部屋に戻り、充電器にバッテリーを入れ、コンセントに差し込む。
「…」
そして、辛うじて再生機能だけは生きている、来ヶ谷さんのカメラにSDカードを差し込んでみるけど、認識されない。
容量が、あまりに大きすぎて、彼女の古いカメラでは認識されないらしいのだ。
「…」
することが無い。バッテリーの充電が終わるまでの辛抱なのに、それがあまりに永く感じる。
たまらず、適当に積んでいる本に手を伸ばす。そして、パラパラと捲っては、その本をまた元の場所に積む。
まるで、痛みの塔を積み上げた人のように。
「…」
そこで、前買った小説の中に、写真家が主人公の話があることを思い出した。
また読み返したくなり、どこに置いたか覚えていないそれを探すため、色々と探して回る。
それは、クローゼットの中の、一番上の箱に収納されていた。
「あった…」
タイトルなら、全部把握している。タイトルさえ分かっていれば、どんな本でも探し出せる自信がある。
「…」

 主人公は、何処にでもいる普通の写真家。ただ強いて違うところを挙げるとするならば、ポルノ雑誌…。
きっと、直枝さんや井ノ原さん、宮沢さんには無縁で、棗兄のほうに多少縁がある本の写真を撮るという職業。
そんな彼の仕事を理解しない恋人、イヤでも撮らなければ生活できないという宿命の板ばさみで、ついに彼は、
写真そのものを放棄してしまう。
そんな時に出会った一人の少女。彼女は彼の仕事を知らない。
ただの写真家だと思っていた。撮って撮ってとせがむ少女。力なく覗くファインダー。
水辺ではしゃぐその姿は、妖精そのものだった。彼は初めて自分が撮りたいものに気付き、無我夢中でシャッターを切る。
やがてその興味は彼女の服の下にも向けられる。自らの仕事を明かした上で、ヌードを撮らせてくれ、と頼む彼に、少女は…。

 これだけの情報なら、出来の悪い3流のポルノ小説か何かだと勘違いしてしまうだろう。
ただ、結末はとても悲壮で、寂しすぎるものだった。
それが思い出せなくて、ページを捲ろうとして、わたしの指が止まる。
思い出せないのではない、思い出したくなかったのだ。
……その少女は、その水辺の近く、本当に近い山の中で、バスの転落事故により亡くなった女の子だったのだから。
まるで、何か懐かしい感じがして、助かっている自分と、助からなかった命に翻弄される青年が可哀想で、それ以上読むのを辞めていた。
「…」
青年は最後、彼女がこの世に未練を残した霊だと知りながらも、彼女を愛することを、使われていない廃屋の机の上に、粗末な十字架を立て、
その前で神に誓う。仲人もいない、牧師もいない、交換する指輪もない、寂しい結婚式。やがて目を覚ましたとき、彼は、全てが夢だった、
仕事中に倒れて、1週間寝ていたと知らされる。だけど、腕や脚には、彼女と遊んだときに付いた傷が確かに残っている。
彼は、それが夢でないことを確かめるために、全てを探す旅に出る。そしてその先で見つけたものは…。

 「…」
こんなありきたりな話で満足するわたしではなかった。
だけど、カメラを握った手で読み返してみると、なるほど作品に秘められた真意が見えてくる。
ファインダー越しに見えて、自分の目では見えないもの。
そんなことを知らせるために、このカメラは、わたしの手の中に遊びに来たのだろうか。
だとしたら、迷惑だと思ってもとことん付き合わせてやろう。
充電ランプが充電完了を知らせる頃、わたしは、充電器をコンセントから外し、ベッドに横になった。


 翌日の昼。
笑顔で現れる直枝さん。
手には、学食のパン。
「隣、いいかな?」
「…断る理由が、ありませんから」
「うん」
もとより、断ってもそこを立ち去る気は毛頭無いくせに。
カメラを一生懸命いじっているわたしに、彼は笑みを絶やさず語りかける。
「食べなきゃダメだよ」
「…」
最初から、彼の諌めを聞く気は無い。
別に昨日のことを怒っているわけでもなければ、食欲が無いわけでもない。
隣にある、彼の鼓動がわたしの鼓膜を動かす。
とくん、とくん。
きっと、彼も未だに緊張しているのだろう。どんなに身体を重ねても、唇を重ねても。
「…よし」
準備が整うと、わたしは立ち上がる。
そして、今まさにパンを食べようと袋を破る手を制する。
「西園さん?」
「…」
彼の脚の間に身体を滑り込ませ、そして、空に向かい、シャッターを切る。
「…」
木漏れ日。
「あなたの目線の、これが撮りたかった」
「…」
聞こえる鼓動が、早くなる。
彼は、わたしの手からカメラを優しく奪い、わたしを抱き締めながら、その視界の先の猫を写す。
「美魚の目線の、猫」
「…」
向き直り、彼の胸に顔を埋める。
「美魚?」
「…理樹の、鼓動」
「…美魚の、鼓動」
わたしの胸に手を伸ばし、軽く揉みながら、わたしの鼓動を掌で愉しむ彼。
「…後で、みんなの写真も撮ってあげてね」
「…それは、わたしの気分次第です」
「…僕がお願いしても?」
「…イジワルです」
相変わらずわたしの胸から手を離してくれない彼にちょっとだけ呆れながら、カメラの音と、
彼の鼓動に鼓膜を動かす。この瞬間が、好きだから。


あとがき。

祝 OLYMPAS PEN E-P1発売!(いつの話してるのよ…)

相坂が一眼レフ、ひいては写真の世界に足を踏み込んだのは、思えば祖父が大切にしていた初代ペンがキッカケ。
こんなのが一眼レフなの?もっと大きいんじゃないの?と祖父に聞いたのを覚えています。
特に、祖父より祖母が好きだったあたしにとって、祖父の唯一大好きなところは、このカメラを持っていること、使ってること。

で、相坂自身も先日E-P1買って遊んでみました。
もうね、買うときはぶっちゃけ『ああ、また買っちゃったよ…これで一眼何台目だっけ?』って勢い。
もちろん、自分の店で買うのは癪なので、他店で安いところを探して買いました。
教えてくれた店員さん。一眼ユーザーのくせに何も知らない振りしていろいろ無茶な質問をしても、笑顔を絶やさないおねーさん。
相坂もこんな店員であれたらなぁ、なんて思いながら、話を聞いていました。

鈍感な理樹君と、そんな彼が大好きな美魚ちゃん。
特にBGMはないけど、夕焼けに似合う歌をBGMに、こんな薄っぺらい作品読んであげてください。相坂でした。

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