紅茶を冷やす冬の風も、いよいよ和らぎ始めて春の風。
冬来たりなば春遠からじ。昔の人はうまいことを言ったものだと思う。春一番が昨日吹いて、私の定位置を壊した以外は、
大方予定通りと言える。そうだ、もう春なんだ。
「だが、雪は止まない、か」
暖かい風は、昼を過ぎてまた寒風に変わり、ちらちらと舞い落ちるパウダースノウが、私の髪を白く染め始めていた。

即興SS『旅立ちの日に』

 別にお茶が飲めれば何処だってよかったのだ。
食堂でもいい、体育館裏でもいい、いっそ体育倉庫や備品庫に理樹君を誘い出してハメハメパーティーほしみっつヤッたところで、
別に誰が困るわけでもない。ただ、長く使ったこの場所がどうしても気になり、破壊された木箱のテーブルや、置きっぱなしのイーゼルが
その後どんな処遇を受けるのかを考えて少しばかり不憫に思い、教職員に焼き払われるくらいならと、自分で始末する道を選んだのだ。
「お前達もお役御免か。あぁ、そうか」
どうせ来週、そう、私たちが卒業すれば、どちらにしても必要とされなくなる運命にある。
引き継いで行きたい誰かなんてみんな一緒に卒業できるのだからいるわけもないし、いたとしてどうする?
「こんな虫でも湧いていそうな木箱、欲しいならくれてやるさ」
誰かに寄越すつもりもないくせに。ジェリ缶からガソリンを少しだけ撒くと、そこにマッチの火を用意する。
マッチ箱もろとも点火して投げ込む。焔は、分解された木箱やイーゼル、脆い椅子をすべて包み込み、無に返す。
「…楽しかったぞ、3年間」
もう、逢うことはないだろう。だが、旅路の先、もしまた会うことが出来るとするならば、その時は。
小洒落たインテリアにでもしてやろう。叶わぬ約束を背に、私は、校舎へと歩みだした。

 たくさんの思い出がある。他には何もいらないくらい。
誰かがそんな事を歌っていた気がする。それはそうだ。両手に抱えきれないほどの思い出があれば、後は何も持てない。
すっかり冷えてしまったカラダを、紙コップ自販機の安っぽい珈琲で暖めているが、誰もこの道を通ろうとしない。
ジーザスめ。少年でも来たら弄り倒すつもりでいたのに。
廊下に響くのは、吹奏楽部の練習の音だけだ。
曲は、あぁ、そうだ。
世界的に有名な、兄妹ユニットの歌。
このシーズンにとってもお似合いの、皮肉めいた下らない歌だ。

---私の人生で一番難しいこと。それは、信じ続けること。
昨日まで当たり前だった仲間たち、私が人生で初めて、尊いと思えた仲間たち。
それですら、去年、リーダーだった恭介氏が卒業していなくなり、後釜の理樹君も、愛しの鈴君と甘ったるくラブりやがって、
次第に、一人、また一人と、恋をしたり、勉強が忙しくなったりで部室に現れなくなり。
私も、いつやってくるか分からない、私にピッタリな誰かを求めるうちに、理想ばかりが先走り、ついに大切なものを見失っていた。
仲間たちを、この狂った、クレイジーすぎる世界で。
信じていたんだ。仲間たちとの絆を。そして、誰よりも仲間なんて意識から遠かった私は、誰よりも絆にすがった。
そして、結果として取り残され独りぼっち。こんなに滑稽なことはないだろう。
あの時もっと、勇気を出していれば、今頃理樹君の隣にいるのは、私だった。
一緒に歩むのも、苦しみを分かち合うのも、喜びを2人揃って2倍にするのも、すべて。
それでも私は、あの狂ったセカイで、彼らが強くなる道を選んだ。なんだ、結局自業自得じゃないか。
シンプルでいたいから。誰にも寄りかからない、孤高の私でいたいから。
それが結果として、理樹君からの卒業、さよならを早めてしまっただけ。
時間は本当に掛かってしまったけど、人の心や物事は、自分の思う以上に複雑で辛く、難しいことを知った。
青春の一ページに、あまりに苦々しすぎる、とても重い代償を支払うカタチで。


 吹奏楽部の演奏が止む。私が部室前に差し掛かったからだろうか。
まさか、なんて思っていると、可愛い女子生徒が小さく、頭だけ出して私を見つめてきた。
「あの…3年の来ヶ谷先輩、ですよね?」
「あぁ、いかにも来ヶ谷おねーさんだ。はっはっは」
馬鹿馬鹿しい、さっきまでアンニュイだったのに、もうお気軽キャラを気取ってやがる。
自分を腹立たしく思いながらも、それはそれ。今は目の前の少女たちを愛でようではないか。
案の定、彼女はドアを開けて、私を迎え入れる。
「来ヶ谷先輩、ピアノとびっきり上手いってみんな知ってるんです!お願いです、演奏してください!」
「「「お願いします!」」」
それぞれ木管楽器、金管楽器、パーカッションのパートリーダーと思しき少女たちが私に頭を下げる。
少しむずがゆい。そして同時に。
「ただの手慰みだ。特別上手とも思わない。それでも、聞きたいのか?」
「はいっ!」
「そうか」
誘われるまま、ピアノ前の椅子に腰掛ける。
「何が聞きたいんだ?おねーさんとしては桃色吐息あたりがおススメだが」
「あ、えーと…」
お。困っている困っている。可愛い娘の困っている顔はいつ見ても至福のひとときを提供してくれる。
いいではないか。これだって、もう長い時間はさせてもらえないんだから。ましてや、もういなくなる3年生にとっては。
すると、部長と思しき生徒が、遠慮がちに手を挙げて、こう言った。
「『旅立ちの日に』の伴奏、お願いしたいんです…」
「ほう」
もはや卒業式の定番となりつつあるその歌の伴奏を、ましてや送られる側の私にさせるとは。
「自分のレクイエムを自分のために演奏する。実に甘美だな」
「え、いえ、えと、そ、そんなつもりでは…」
不味いことを言ってしまったのだろうか。急に自信をなくしてオドオドする彼女に。
「いや、気にすることはない。いいさ。それはそれで楽しい。それに」
仮にも可愛い後輩たちだ。面識はまったくないが。
「ワガママを聞くのもおねーさんのお仕事なのさ。さぁ、遠慮なく私について演奏するといい」
「「「…はいっ!」」」
元気のいい声をバックに、私は差し出された楽譜を一読みすると。
「アレンジを加える場合もあるが、極力キミらの邪魔はしない。気にせず演奏してくれ」
鍵盤に指を置き、そして。

---白い光の中に、山並みは萌えて
そうだ、本当なら、あの山の中で、私と仲間たちは息絶えていたはずだったんだ。
その地獄の淵から、キミは何も言わず、私を救ってくれた。
そんなキミを誰が責められようか。キミが強くなれば死んでもいいと思っていた、私を許してほしい。
今なら、素直にそう思えるよ。

---遥かな空の果てまでも、君は飛び立つ
翼はない。だけど、可能性はいくらでもある。
不可能を成しえた2人なんだ。今更何を恐れようか。
もう、恭介氏や私、多くの仲間たちの手を必要としていないんだな。
強くなったな、理樹君。もう一度生まれ変わって出逢うことができたなら、次は、私を選んで欲しいくらいに。

---限りなく蒼い空に心震わせ 自由を駆ける鳥よ振り返ることもせず
いつからだろうか。キミがこんなに逞しく、鈴君にはもったいないくらいの男に見え始めたのは。
少し寂しく、そして、その半面で、贖罪の意識を忘れ、自分たちがやったことを肯定しようとする自分だってあった。
そう考えれば、キミはこれまで、かごの中の小鳥だったんだろう。ようやく、空を飛ぶチャンスが来ただけのこと。
空がキミを嫌うとしても、その時は、私が空になってやろう。だから、安心して、こんなコンクリートの箱から出るといい。


「勇気を翼に込めて 希望の風に乗り」
「!」
突然の歌声に気になって横を見ると。
「葉留佳君…」
可愛い妹分は、ウインク一つ、続きを謳い続ける。
「この広い大空に 夢を託して」
また声。左横を見ると。
「今度は美魚君か…」
こくん、と頷くと同時に、曲は伴奏に入る。
強弱を付けながら、そう、本当に自分を見送る鎮魂歌のように、荘厳に、つつがなく。
本番ではトランペットがソロをするらしく、トランペットが吹く真似をする。よし、後でもう一度ジャムセッションやるときは伴奏をとめよう。
やがて、曲が2番に差し掛かるとき。

「懐かしい友の声 ふと甦る」
「意味もない諍いに 泣いたあの時」
「真人少年、謙吾少年…」
いつも喧嘩ばかりしていたこの2人も卒業後の進路はバラバラ。
前者は筋肉修行、後者は体育大学。形はどうあれ、寂しいのだろうか。
そんな謙吾少年を察して、真人君が肩に手を置く。それを振り払おうともせず、彼は。
男泣きか。それもまた一興。
少年たちよ、理樹君の背中を飛び越えて幸せに咲き誇りやがれ。

「心通った嬉しさに抱き合った日よ」
「みんな過ぎたけれど 思い出強く抱いて」
次は小毬君、そしてクドリャフカ君。
思えばこの子たちも、私の愛玩動物のままだったな。特にクドリャフカ君は。
日本語も、だいぶ上達したし、今や日本人と名乗っても全然恥ずかしくないレベルに達している。
いっそのこと新しい名前でもくれてやろうかと思う日々だ。
小毬君は相変わらず私をゆいちゃん呼ばわりする。最初の頃、その馴れ馴れしさが鬱陶しくて敵わなかった。
だが、今なら思えるんだ。キミはキミなりに、私を愛してくれていたんだろう、と。
心が通うのが少し遅れたかもしれない。許して欲しい。そして。
いつかまた会う日に、初めて会ったときの思い出を語らうとしようじゃないか。
思えば、恭介氏、理樹君、鈴君以外が久しぶりに揃った姿じゃないか。
これ以上の感傷は野暮というもの。ふと、吹奏楽部の演奏も止み。
私のピアノを糧に、全員がサビを歌い始める。ピアノ伴奏に若干強弱をつけてやると、楽器を床や机に置いた彼女らが、
まるで、自分の卒業であるかのように、抱き合い、または円陣を組み、泣きながら謳い始める。
「これじゃ、私が戦犯じゃないか。はっはっは」
ちょっとだけ悔しい。送り出されるほうが、送り出すほうに涙を貰うなんて、な。

---今、別れのとき 飛び立とう、未来信じて。
別れと言ったって、永遠じゃない。みんな、この空の下にいる。
会いに行こうと思えば、いつだって会える距離じゃないか。そう、あの世とこの世に別れない限り。
未来なんて抽象的なものを信じる気はない。あくまでその先に待つ、誰かのために。

---弾む若い力信じて この広い大空に。
入学して、出会って、勉強して、恋をして、部活をして、卒業する。
一生に一度、全人生から見てほんの一瞬の輝き。
それでも貰ったものは大きく、失うことはない。それを糧にして、今は飛び立とう。
どこまでも澄んで綺麗な、あの雪雲の先まで。


 好きと言う感情がなくなる日が来るのだろうか。
今は、まだ来て欲しくないけれど。このわだかまりがなくなって、いい方向に昔に戻れるなら。
「今はしばしのお別れだ。さようならは言うまい。また、会おう」
式典が終わった後、私は誰に会うこともなく、校舎を後にする。
さよならを告げたい人には告げた。それ以外の奴らにはまたいつか会えると信じているから言わない。
ただ、それを打ち砕くように、彼がいたのは驚いたけど。
「理樹君」
「来ヶ谷さんなら僕らを出し抜こうとするって思ったからね」
「…」
お見通しか。やれやれ。
「なんだ。鈴君を待たせているんだろう?さっさと行きやがれ」
「来ヶ谷さん」
「さっさと行けェ!」
背を向ける。声を荒げたのも、本当に久しぶり、だな。
「来ヶ谷さん」
「!」
しかし、そんな私の気持ちを知ってか知らずか。少年は、私の背中に顔を埋める。
「いつかのセカイで、僕を好きになってくれてありがとう」
「いつかのセカイで、僕にクッキーを焼いてくれたり、耳掃除をしてくれたり」
「…」
「どれも遠い昔のようで、まるで昨日のことのように覚えてる。もう帰れないけれど」
あんなセカイじゃなければ、きっと僕は、来ヶ谷さんから逃れられなかったから。
それだけ言うと、彼は、また歩き出す。
校門にもたれ掛かり、彼を待つ愛しの雌猫の許へと。
「理樹君…」
早咲きの桜吹雪が、私たちを分ける。
「ずるいじゃないか。告白までして、去っていくなんて」
そして、ふと背中に何か付いていると感じ、手を回すと。
手紙だ。そして、妙に男らしくない文字をなぞる。

---今はさよなら。タイムカプセルを開ける50年後、笑顔で会いましょう。お互い、大切な人を連れて---

 どうやら、後50年は私を束縛するつもりだろう。
「私にとって大切な人は、キミしかいないって知っているくせに…」
スカートを吹き抜ける風は、やがて誰も知らない空へと駆け上る。
「いいだろう。50年も猶予があれば、キミを鈴君から寝取る時間は十分にあるはずだから、な」
私も歩き出す。そう、脚が折れて立てなくなるその日まで。
いや、そうなったらそれこそ責任を取ってもらおう。そんな風に考えながら、私は、新しいお茶会の場所を模索するのだった。
誰も知らない、私しか知らない、特別な場所を。
                                                              fin.


 あとがき。
卒業シーズンってことでてきとーに書いてみた!
ゆいちゃん視点で卒業を描くと大概こんな感じになると思う。なんかこう、理樹君と結ばれる未来が見えなかった。
まぁ、これまで相坂作品ではできちゃった学生結婚が多かったし、たまにはいいかな、なんて。相坂でした。

【ご卒業おめでとうございます】